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夏の終わりのミステリー

 通りの向こうで青い服を着た人が走ってくるのが見えた。その姿が非常にスローモーションだ。それに30度くらい傾いて見える。よく見れば道路から浮いている。ああ、これは霊だなと思う。

 霊が見えるというのは、五感の他の感覚があるということで、不思議でもなんでもない。小さい頃から、顔が半分しかない人や、壁から突き出た首が見えたりもした。

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 霊に見えるものは、脳内の映像であり、イメージだ。もともと複雑な音波・電波・光波の周波数だったり、空間の歪みだったり、時空のぶれだったりするものが、仮に第六感だとすると、その第六感を通じて脳内に映像を作り出す。

 霊に見えるものに、霊障はないと思うし、もとより恨みなどない。なにより一番怖いのは、生きている人間だ。もし、死んで恨みや怨念が残るのなら、世の中には、人間に殺されて、非業の死をとげた動物の霊であふれかえるはずだ。

 小さい頃は、それは怖かった。霊が見えることが怖いのではない。信じてもらえないのが怖かった。

 いろいろ調べていくうちに、脳の働きの解明されていない部分に、そういう働きがあるのではないかというふうに思うようになった。脳の中では、視覚であったり、想像であったり、記憶であったりと、さまざまなイメージが映像として常に流れている。そこに、潜在意識の映像が流れ込む。映画『マトリックス』で描かれていたのも、そういう世界観だった。そして、それも現実世界である。

 こういうことがわかってくると、生命というのは、奇跡的な現象だということがよくわかるようになる。人と人とは、見えないつながりが確かにあるし、偶然の多くは必然である。

 ここまでの話、あなたは信じるだろうか。たまにはこういうオカルトっぽい、ミステリーはどうだろうか。

 アイキャッチのかわいらしい舌を出すお化けはここからダウンロードさせていただきました。

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第10回岩美現代美術展8月5日シンポジウム

 岩美現代美術展は、2017年8月5日〜21日まで旧岩美病院の「Studio652」で開催される、今年10年目を迎える現代美術のアート展です。詳しくは、岩美町HPお知らせ「第10回岩美現代美術展を開催します!」をごらんください。

 8月5日(土)には、シンポジウム「地域における現代美術の可能性」が開催され、実行委員会代表の小山勝之進氏の開会あいさつのあと、團紀彦氏の基調講演が行われた。

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 團氏の講演はたいへん興味深いものだった。開口一番「建築家というのは、アーティストに比べると、中途半端な存在だ。」と言われた。「建築物にはどうしても、イメージに制約が加わる。材質がどうか、強度がどうか、さまざまな条件をクリアしないと建築物は生まれない。」

 氏は、まず岩美町を訪れて「鎮守の森がありますか。」と町の担当者に尋ねたそうだ。そして、浦富の熊野神社を案内していただいたそうだ。

 なぜ「鎮守の森」か。スダジイなどの広葉樹の森、それも一種類の木ではなく、さまざまな種類の木が作る森があることが条件なのだそうだ。それは、人の手で育てる里山とは違う。その違いはなんだろうか。話が核心に触れる。

 氏が青山学院大学で、都市学の講義で学生に話されたのは、「たとえば、明治神宮の場合、神社の植生は100年設計で考えられているということだ。神社の周辺に木を植えるときは、『実のなる木はご遠慮下さい。花の咲く木もご遠慮下さい。』と言われるそうだ。花が咲き、実が実ると、道ができ、下草が育たない。ただし、木が一種類だと、病気になって枯れる。公園とは逆の発想で、人が入れないように森を作る。いわゆる里山は人の手が入った方が育つ。鎮守の森は、容易に人が入れない。」

 スライドでユーラシア大陸を上空から見た地形図が映し出され、中国とか、朝鮮半島、日本を上空から見ると、緑が多い。西に行くほど、茶色くなる。

 「アジアの都市の特徴は、都市と自然の境界がはっきりしないで、溶け込んでいる。逆にヨーロッパでは、都市と自然とは、はっきり区別がある。自然=無法地帯といっていいくらい、はっきりしている。こうして、ユーラシア地図を見ると、日本や中国には緑が多い。仏教も元は(色が茶色い=緑が少ない)インドから発祥しているし、哲学、宗教は、茶色い所から多く出ている。」

 氏の話は、共生とは何かにつながっていく。その上で「Symbiosis with Land 大地との共生」「Symbiosis with Others 他者との共生」「Symbiosis with Time 時間との共生」という3つの面を実例を挙げながら解説された。

 その中で特に興味深かったのは、「大地との共生」で話された、京都にあるスイミングプール(冬はスケートリンクになる)「京都アクリーナ」の設計例だった。元は平坦な土地に建築物を建てると、巨大なものになる。氏がその設計をシチューでたとえていたのも面白かったし、とてもわかりやすかった。その土地の土を運び出して、一つ一つの機能をシチューの具にたとえて配置する。そして、土を戻して、地下になる部分に機械室を作った。地形ごと設計したというものだった。

 もっと興味深い話は続くが、話は尽きない。書ききれないほどだ。

 氏が講演の最後に岩美町にヒントとして残してくれたのは、スペインのサン・セバスチャンにあるチリーダの自然と共生する作品群を紹介してくれたことだ。今回岩美町で大谷海岸に麒麟獅子のオブジェを作ったのも、そういうメッセージが込められているのだろうと思う。かつて以前岩美町でランドアート作品を作ったことがある大久保英治氏がこの岩美現代美術展に残してくれたメッセージにも通じるものだ。自然との共生、その可能性のある自然がここ岩美町には確かにある。

 講演のあとには、團紀彦氏、栩山孝氏、山本修司氏をパネラーに迎え、三浦努氏の進行でパネルディスカッションが行われた。

 パネルディスカッションの話の底流にも、冒頭の「鎮守の森」が流れているように感じた。自然にかなうものはないと。建築は自然を生かしたものだけが長く残る。長く残るからと言って、神社の狛犬をステンレスで作るわけにはいかない。美術館というものも、美術品が流出したり、売り買いできるようになってから作られたもので、最初の美術館が出来てからでもせいぜい200年くらいの歴史しかない。

 最後に今年町長を退くことが決まった榎本武利岩美町長のあいさつがあり、1時間延長という充実したシンポジウムが幕を閉じた。

 18時からは、会場を大谷海岸に移し、野外作品の紹介と、地元の麒麟獅子舞が演じられた。この日の司会は谷口尚美氏、暑い一日だったにもかかわらず、落ち着いた進行で時間の長さを忘れることができた。

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スアライのススメ

 洗濯物は、洗剤で“洗濯機様”が洗いますし、油ものの食器類は、食器用洗剤を使います。シャンプーで頭を洗い、手や足や、あっちやこっちや石鹸で洗います。

 まあ、こうしてみると、日常いろいろと洗剤を使う機会がたくさんあります。

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 ここは、漁場、港のある村です。20年かもうちょっと前だと思いますが、下水が整備されていなかった頃は、当然そうなりますが、だいたいいつも川が泡立っていました。当時「カワシリ」って呼んでいましたが、港を少し外れた川が海に流れる一番「シリ」のところは、だいたい臭かったですね。今はアニメfree!が人気で、この田後に、よく若い人も訪れて来てくれますが、だいたい今景色のいい、行きそうなところは臭かった。今はもちろん、キレイですし、臭くないです。ご安心ください。

 生活排水ばかりじゃなくて、魚を扱いますから、どうしてもその後始末したものも多少は川に流れるわけです。地元の人はよくわかっているから、コンポストもあるし、ゴミは捨てないんだけど、カワシリには、どうしてもそういう淀みが生まれていたわけです。

 当時からの習慣として、だいたい「素洗い」で済ませられるものはそうします。つまり、洗剤を使わない。

 お茶や水を飲むコップ、カップ。ビールを飲むグラス。油を使っていない食器類は水で洗う。スポンジや食器洗い用のレーヨン素材の布とかは使います。

 水を張った食器だらいにどぼんと漬けておいて、スポンジでシャカシャカ、レーヨンでキュッキュッ、キレイな水でざっとすすいで、ふせておいて、タオルかなんかで拭いてオワリ。

 日常、意外と食器用洗剤は使わない。油ものとそれ以外のものは一緒にしないし、だいたい、飲みもの系は使ったら、すぐ洗います。

 テーブルを拭く布巾なんかもだいたい素洗いですね。仕上げ拭きの乾いたキレイな布巾を別に用意しているので、テーブル拭きの布巾は拭いては水で洗い、水で洗っては拭き、・・・って、なんか当然の当たり前のコンコンチキのことを書いているような気分なんですけど、本当のところはどうなんだろう。

 スアライ、してますか。

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ネムノキの花の咲く季節

 今年、山陰は梅雨に入っても、雨が少ない。

 各地では地震や集中豪雨で被害の出ている地域もあるようだ。大変だと思う。天候はさまざまだ。

 季節は巡ってくる。もうすぐ夏が来る。ネムノキの花が咲き始めた。

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 ネムノキは豆の木。高い枝にしたがって大きく広がって、手のひらのような葉を広げ、夕方になると眠るように葉を閉じる。6月下旬から7月頃に、淡いピンクの花をつける。風は心地よく、薄曇りで暑くはない。

 今思うことは、自然は何もかもすべてを持っているということだ。言葉も、文字も、文明も、機械もなく。何万年だろうが、何億年だろうが、繰り返し花は咲く。

 私たちは一人ひとり肉体を持ち、その肉体が朽ちる前の時間を生きる。それはすべてが自然で、善も悪もないのだと思う。自然はすべてを持ち、すべてを教えてくれる。自分自身を見つめ、自然とともに生きよう。

 さて、腹減った。なんか食おう。

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人が変わるとき

 ぼくを知っている人は「え?」と思うかもしれない。ぼくは小さい頃は、犬が大の苦手でした。遠く100メートル先で姿を見ただけで、家に駆け込んでいました。姿が見えなくても、「ワン」と吠えた声を聞いたら、それがテレビドラマだったとしても、ビクッとしていたと思います。

 今は、犬に限らず、動物はみんな好きです。東京にいた頃は、ヒマなときはバイクに乗って山を走るか、温泉に行くか、美術館巡りをするか、何もないときは、牧場や動物園によく行きました。

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 自分自身が犬が苦手だったことを忘れていました。しかし、なぜか唐突に、ふと、思い出しました。

 犬が苦手だった頃は、人も苦手だったように思います。その頃のぼくは吃音(どもり)があり、学校での国語の本読みが一番苦手でした。

 変えてくれたのは、中学校で始めた音楽だったのかなと思います。人前で演奏するときの、少し緊張する、あの感覚がイヤではなくなっていました。逆に少しずつ、心地いいと感じるようになっていました。吃音もあまり出なくなり、1年生の時に前期、後期とあって、後期の生徒会長に立候補したので、まわりは相当驚いたと思います。結果は、落選でしたが、生徒会に入って、全校集会の司会を進んでやりました。

 人が変わるということを、「心を入れ替える」「別人のよう」と表現することがあります。あながち大げさではないのかも知れません。心が本当に入れ替わる、というようなことは現実に有るかもしれないと思うからです。

 今、また何か変わった自分を見ているような気がしています。

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変わらない風景〜G線上のアリア

 鳥取には、変わらないものが溢れています。都会の生活に疲れて、働くことに厭きて、静止した時間を味わいたい人は、ここに来るといいでしょう。

 そして、鳥取県東部には、「岩が美しい」「岩美」と書いて「いわみ」と読む地方があります。かつては岩井郡(いわいこおり)だったそうですが、どっちにしろ「岩」です。

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 その名のとおりに、岩山が多いし、海岸も岩と岩の間に、砂浜が広がっている、そんな感じです。岩石で作られた遺跡、石碑、古墳、墳丘墓なども、たくさんあるようです。

 なぜなんだろうと、思い、ふと今日インスピレーションを感じたことを書きます。

 ここは、岩の持つ周波数と調和している空間なのではないか。

 だから、もちろん、建物や、土地や風景は変わるんだけど、基本、その空間は、変わらない。ここに来て、その空間で暮らしていると、岩の持つ周波数と同化してしまうのではないだろうか。実際、何十年かぶりにここで誰かに会ったとしても、どんなに風貌が変わって、一見わからなかったとしても、実際は印象が変わったように思えない。時空の質がどうも他の場所と違う気がする。

 私のように、Uターンして帰ってきた(当時は仕方なく)のではなく、近年は、とても豊かな岩美の自然風土に魅力を感じて、移住してこられる方が多い。その人たちには、この岩美の人々はどう映るのだろうか。

 画像は、鳥取市円護寺にあるビルマ方面戦没者慰霊碑です。レッスンの合間に散歩していて、円護寺トンネルを抜けたところで見かけました。

 しばらく周辺を散策していると、時折ぽつりぽつりと訪れる人がいます。年配のご夫婦がクルマを止めて参る姿もありました。この周辺には未帰還者の慰霊碑や、平和の塔などがあります。この時、「G線上のアリア」のメロディが浮かび、先日入ってきたテナーGのオカリーナで吹きたいと思いました。

 「G線上のアリア」は、これから音楽ライブユニットぽんかん。で、練習します。

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森の中の小さな住人の話

 昨日、森の中でアリグモという、奇妙なクモを見かけました。動きとか、見た目は一見すると5〜6ミリくらいの、普通のアリにしか見えない。でも、糸を出したんですね。帰って調べてみたら、びっくり。ハエトリグモの仲間でアリに擬態したアリグモだということでした。

 体の大きさの割に大きくて、長いアゴを持っているので、肉食系には違いないんだけど、何を食べるのかなあ。蚊とか、蛾なんかを食べるのかも知れない。はっきりしたことはわかっていないようです。

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 以下のリンク先は、このページにある写真だけでも気持ち悪い「アウト〜ッ!」「苦手」という人には【閲覧注意!】です。とても詳しい説明と写真が掲載されています。世の中には、探究心が旺盛で熱心な方もおられるんですね。ぼくは、こういう生物がいた。びっくりした。でオワリ、なんですが。あらかじめ、ちゃんと伝えておきますが、タイトルからわかるように、この方のブログには、ゴキブリの写真が満載です。以下のリンクだけなら、アリグモだけなので、興味のある方は覗いてみてください。

ゴキブリが親友です!嫌われ者の王様は僕にとっては益虫だった!?

 Wikipediaにも情報がありました。以下のリンクをごらんください。

Wikipedia アリグモ

 ときどき、人間こそ、他の人間に擬態して似せようとする生き物なんじゃないかなとか思ったりします。考えすぎでしょうか。

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昔むかしのおっさんの話

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 「おっさん」というときに、「おっ」を低く、「さん」を高く言うと、「おじさん」「オヤジ」になります。逆に「おっ」を高く、「さん」を低く言うと、「おしょうさん」つまり、お寺の住持(じゅうじ)、いわゆる住職(じゅうしょく)になります。いや、この辺だけの呼び方かも知れません。あまり「おしょうさん」「住職さん」とは言わないで、「おっさん」と言います。もちろん、その言葉には敬意が込められていて、「おっさんはいつきなるだ。(住職さんはいつ来られるのですか。)」とか言います。

 岩美町には昔むかしのえらいおっさんというと、よく名前が出るのが、通幻禅師と、仙英禅師の二人がおられて、どちらも碑が建っています。上の写真は、通幻禅師のほうで、岩美町の浦富の住宅街の中にあります。座禅をしたおっさんの像の傍らに「母子愛碑」と彫られた碑も建っています。これは、この地方に伝わる「飴買い幽霊」のお話があって、墓の中で生まれたと伝えられているからです。もっとも、このおっさん、出家したのが大分のお寺だそうで、大分で生まれたという説もあるそうです。なにしろ約700年も前のこと、今となってはよくわかりません。

 一方、この写真は仙英禅師の碑が建っているところから日本海を写したものです。国道178号線からも登れるし、岩美駅からも近く、岩美中学校の裏手の丘の上になります。このおっさんも、通幻おっさんより、ずっと後の江戸幕末の人で、井伊直弼が安政の仮条約を結ぶきっかけを作った人らしく、この仙英おっさんがいなかったら、日本の歴史は今とずいぶん変わっていたかも知れないぐらいの人物のようでした。

 鳥取市の景福寺を開山したのが、通幻おっさんで、仙英おっさんも、この景福寺の住持をしているときに、井伊直弼にスカウトされるているらしい。二人のおっさんの共通点がここにもありました。

 現代も、いろいろと不安な情勢がありますが、こんな立派なおっさんがいたら心強いですね。

 でも、もし二人が現代に生きてたら、「こがいな碑ぃ建てんでもええけ、あんたらぁが一人ひとり、しっかりしないや。」って言うかも知れません。

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ソウジセンタク、本を読む

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 自宅にオフィスを置いて、出張で仕事をしているので、時間があると、掃除、片付け、洗濯します。それから、ぼんやりと本を読んだり、インターネットサーフィンをしていたりします。

 こういうときの仕事は、少しだけ、ブログを書いたり、パソコンのメンテナンスをしたりとか、してます。そう。楽譜を書くのも仕事です。こんなふうにゆったりとした時間が持てて、クルマに乗ってちょっと足を伸ばせば、海があって、青空があって、山があります。こんなライフスタイル、都会では持てません。

 ここは岩美町です。ここの自然に魅せられて移住してくる人も最近は増えています。

 私も、かつては会社に勤めて、朝から晩まで毎日働くサラリーマンでした。ずっとそうして生きてきました。自分の時間を持てるのはそれが休日の楽しみなのだと、そう考えていました。だから、今の生活には、後ろめたさがどこかありました。「お金をかせがないといけない。」それが働くことだったからです。独立したときに、毎週新聞広告を出しました。PRして、仕事をいただいて、やっと生活ができる。もっと経済的にゆとりがほしい。こうしてぽっかり空いた時間はゆとりだとは感じられずに、焦ってばかりいました。

 この話は、もう少し続きを書こうと思います。今日はこの辺で。

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第31回いわみ音楽祭出演者募集中です

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 おーきっなふっくろっを、かったにっかけ〜♪「大黒様」「金太郎」「花咲爺」「青葉の笛」など、今にも唄い継がれている唱歌の作曲家、田村虎蔵は、ここ、岩美町出身です。その田村虎蔵を顕彰する音楽祭です。と言っても、虎蔵様オンリーではなく、手作り感満載のアットホームな音楽祭です。今年は、公民館建替のため中学校体育館での開催です。

岩美町のホームページ – 企画財政課 第31回いわみ音楽祭の出演団体を募集中です。

 募集期間は、2017年5月9日(火)〜6月5日(月)までとなっています。気楽にご参加いかがでしょうか。