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人類はかつてスーパーマンだった

 ダーウィンの進化論って、ぼくは疑問なんだよね。そりゃ、進化もするだろうし、退化もするんじゃね?って。動物の生態って、環境が変わると、適応する、変わる、常に変化するし、常に多様性があるってのが正解なんじゃないかと思う。現代のニンゲンだってさ。背の低い人もいれば、高い人もいる。知能だってさまざまだよね。

 だからさ。たとえば、原始人とかって言って、発掘された人骨らしきものから、学者さんが想像するんだけど、あれってどうなのかなって思う。「あれ」って、あれよ。なんか毛むくじゃらで、腰みのみたいな最低限の服着て、ちょっと猫背で、猿みたいな顔しててっていう想像図。いやま、そういう人もいたんでしょうよ、きっと。それすら、マユツバだけどさ。

 スラっと背の高い、頭のいい人もいたんじゃないかな。それも、紀元前何万年というような世界にもさ。

 もちろん風習とか、思想、概念みたいなのは、今とはまったくかけ離れていたんだと思うよ。

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 その頃の文明だって、地底、海底なんかから遺跡が見つかっていたりするじゃない。それも、1万年くらい前の遺跡が実際に出てきているわけさ。それだけ高度な文明があってさ。文献が残っていないっていうのはもしかしたら、人々が意思を伝えあうのに、言葉や文字に頼る必要がなかったんじゃないかな。

 死生観とかも今とは違うんだろうな。だいたいは、そんなに長生きじゃなかっただろうとは想像するんだけど、でもその中でも随分長生きをして、100歳とかでも、普通に元気な人もいたかも知れなくて。

 そうしたときに、ふと気付くのはさ。お墓って、そんなに古いものは見つかっていないんだよね。エジプトのミイラとかあるんじゃねって思うかもしれないけど、あれはさ、古いって言っても、3000年くらいなのよ。しかも、死者ではなくて、蘇る者として作られてる。そういう思想なわけ。

 先日世界遺産登録の候補地になった大阪の百舌鳥古墳群(堺市)、古市古墳群(羽曳野市・藤井寺市)なんかも、1500年前というから、めっちゃ近代です(正確な用語では「近世」ということかな。ここでは学術論は省きますが)。

 そしたらさ。文字も言葉も、今のような宗教が生まれる前のニンゲンってさ。お墓も必要なかったって考えられないかな。「死」をそのまま「死」として受け止めていたんじゃないかな。「悲しい」「寂しい」はもちろんあっただろうけど、「肉体がなくなった」「一人の人として動かなくなった」という悲しさ、寂しさであって、日常の変化のひとつに過ぎなかったんじゃないだろうか。

 さて、次くらいに、その古墳のはなし、おもしろそうなので、ちょっと考えてみます。

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 アイキャッチ画像はGATAGフリーイラスト素材集から、進化論のイメージは、植山周一郎さんのブログから、ダウンロードさせていただきました。

夏の終わりのミステリー

 通りの向こうで青い服を着た人が走ってくるのが見えた。その姿が非常にスローモーションだ。それに30度くらい傾いて見える。よく見れば道路から浮いている。ああ、これは霊だなと思う。

 霊が見えるというのは、五感の他の感覚があるということで、不思議でもなんでもない。小さい頃から、顔が半分しかない人や、壁から突き出た首が見えたりもした。

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 霊に見えるものは、脳内の映像であり、イメージだ。もともと複雑な音波・電波・光波の周波数だったり、空間の歪みだったり、時空のぶれだったりするものが、仮に第六感だとすると、その第六感を通じて脳内に映像を作り出す。

 霊に見えるものに、霊障はないと思うし、もとより恨みなどない。なにより一番怖いのは、生きている人間だ。もし、死んで恨みや怨念が残るのなら、世の中には、人間に殺されて、非業の死をとげた動物の霊であふれかえるはずだ。

 小さい頃は、それは怖かった。霊が見えることが怖いのではない。信じてもらえないのが怖かった。

 いろいろ調べていくうちに、脳の働きの解明されていない部分に、そういう働きがあるのではないかというふうに思うようになった。脳の中では、視覚であったり、想像であったり、記憶であったりと、さまざまなイメージが映像として常に流れている。そこに、潜在意識の映像が流れ込む。映画『マトリックス』で描かれていたのも、そういう世界観だった。そして、それも現実世界である。

 こういうことがわかってくると、生命というのは、奇跡的な現象だということがよくわかるようになる。人と人とは、見えないつながりが確かにあるし、偶然の多くは必然である。

 ここまでの話、あなたは信じるだろうか。たまにはこういうオカルトっぽい、ミステリーはどうだろうか。

 アイキャッチのかわいらしい舌を出すお化けはここからダウンロードさせていただきました。

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夢は遠い未来ではなく、ここにある。

 人は「達成感」のために生きているのだろうと思うことがある。

 そして、そのために「夢」を持とうとする。

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 だから、家の裏山に登ったことはなくても、富士山やチョモランマを目指す。

 そこにたどり着くためには、苦労し、努力もするし、我慢もする。

 それはいつしか、その夢を達成した人を師と仰ぎ、その師の方法論を学ぼうとする。

 学ぶことは意味があることだ。そこに疑いはない。

 しかし、師の教えが「絶対」となると厄介なことになる。その師の教え以外のものが見えなくなるからだ。それは、時として、今ある現実、自分自身をも否定することになる。

 夢は、もともと心にあったものをイメージに変えたものに過ぎない。

 そういう意味では、眠っている時に見る夢も、目標となる現実の夢も変わりはない。

 夢は、今、ここにあるもの。いつも心を見ていたい。見つめなおしてみたいと思う。

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第10回岩美現代美術展8月5日シンポジウム

 岩美現代美術展は、2017年8月5日〜21日まで旧岩美病院の「Studio652」で開催される、今年10年目を迎える現代美術のアート展です。詳しくは、岩美町HPお知らせ「第10回岩美現代美術展を開催します!」をごらんください。

 8月5日(土)には、シンポジウム「地域における現代美術の可能性」が開催され、実行委員会代表の小山勝之進氏の開会あいさつのあと、團紀彦氏の基調講演が行われた。

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 團氏の講演はたいへん興味深いものだった。開口一番「建築家というのは、アーティストに比べると、中途半端な存在だ。」と言われた。「建築物にはどうしても、イメージに制約が加わる。材質がどうか、強度がどうか、さまざまな条件をクリアしないと建築物は生まれない。」

 氏は、まず岩美町を訪れて「鎮守の森がありますか。」と町の担当者に尋ねたそうだ。そして、浦富の熊野神社を案内していただいたそうだ。

 なぜ「鎮守の森」か。スダジイなどの広葉樹の森、それも一種類の木ではなく、さまざまな種類の木が作る森があることが条件なのだそうだ。それは、人の手で育てる里山とは違う。その違いはなんだろうか。話が核心に触れる。

 氏が青山学院大学で、都市学の講義で学生に話されたのは、「たとえば、明治神宮の場合、神社の植生は100年設計で考えられているということだ。神社の周辺に木を植えるときは、『実のなる木はご遠慮下さい。花の咲く木もご遠慮下さい。』と言われるそうだ。花が咲き、実が実ると、道ができ、下草が育たない。ただし、木が一種類だと、病気になって枯れる。公園とは逆の発想で、人が入れないように森を作る。いわゆる里山は人の手が入った方が育つ。鎮守の森は、容易に人が入れない。」

 スライドでユーラシア大陸を上空から見た地形図が映し出され、中国とか、朝鮮半島、日本を上空から見ると、緑が多い。西に行くほど、茶色くなる。

 「アジアの都市の特徴は、都市と自然の境界がはっきりしないで、溶け込んでいる。逆にヨーロッパでは、都市と自然とは、はっきり区別がある。自然=無法地帯といっていいくらい、はっきりしている。こうして、ユーラシア地図を見ると、日本や中国には緑が多い。仏教も元は(色が茶色い=緑が少ない)インドから発祥しているし、哲学、宗教は、茶色い所から多く出ている。」

 氏の話は、共生とは何かにつながっていく。その上で「Symbiosis with Land 大地との共生」「Symbiosis with Others 他者との共生」「Symbiosis with Time 時間との共生」という3つの面を実例を挙げながら解説された。

 その中で特に興味深かったのは、「大地との共生」で話された、京都にあるスイミングプール(冬はスケートリンクになる)「京都アクリーナ」の設計例だった。元は平坦な土地に建築物を建てると、巨大なものになる。氏がその設計をシチューでたとえていたのも面白かったし、とてもわかりやすかった。その土地の土を運び出して、一つ一つの機能をシチューの具にたとえて配置する。そして、土を戻して、地下になる部分に機械室を作った。地形ごと設計したというものだった。

 もっと興味深い話は続くが、話は尽きない。書ききれないほどだ。

 氏が講演の最後に岩美町にヒントとして残してくれたのは、スペインのサン・セバスチャンにあるチリーダの自然と共生する作品群を紹介してくれたことだ。今回岩美町で大谷海岸に麒麟獅子のオブジェを作ったのも、そういうメッセージが込められているのだろうと思う。かつて以前岩美町でランドアート作品を作ったことがある大久保英治氏がこの岩美現代美術展に残してくれたメッセージにも通じるものだ。自然との共生、その可能性のある自然がここ岩美町には確かにある。

 講演のあとには、團紀彦氏、栩山孝氏、山本修司氏をパネラーに迎え、三浦努氏の進行でパネルディスカッションが行われた。

 パネルディスカッションの話の底流にも、冒頭の「鎮守の森」が流れているように感じた。自然にかなうものはないと。建築は自然を生かしたものだけが長く残る。長く残るからと言って、神社の狛犬をステンレスで作るわけにはいかない。美術館というものも、美術品が流出したり、売り買いできるようになってから作られたもので、最初の美術館が出来てからでもせいぜい200年くらいの歴史しかない。

 最後に今年町長を退くことが決まった榎本武利岩美町長のあいさつがあり、1時間延長という充実したシンポジウムが幕を閉じた。

 18時からは、会場を大谷海岸に移し、野外作品の紹介と、地元の麒麟獅子舞が演じられた。この日の司会は谷口尚美氏、暑い一日だったにもかかわらず、落ち着いた進行で時間の長さを忘れることができた。

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がたぴし

 ひゃっはー! 連日暑いですね。

 いかがお過ごしでしょうか。

 暑中お見舞い申し上げます。

 この暑いときに、九州はえらいことです・・・。

 鳥取県も昨年は中部で大きな地震がありましたが、災害はいつどこに起きるのか、全世界的な、地球的なと言いますか、気候の変動もあって、年々規模も回数も増えてきたように思います。

 明日は我が身かも知れません。

 被災された皆様の一日も早い復興を祈ります。

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 話は変わります。

 数年前にあるお坊さんに教えてもらったことがあります。

「その窓、戸が『がたぴし』言うでしょう。木枠で古いけん。この『がたぴし』言うのは、実は仏教用語なんよ。自分と他人とが、勝手にあっちだこっちだって言い合うと、噛み合わんでしょう。そんなときに『がたぴし』いう音がするだがなぁ。『我他彼此』と書いて、ものごとは自分のことだけじゃなしに、自分以外のもんも見んさいよ、いうことなんよ。」

 どうしてこの言葉を思い出したかというと、ふと『神の声を聞く』とはどういうことなのかと、歩きながら考えたことに始まります。

 神が今の自分を見たときに何を言うのだろう。何を教えてくれるのだろう。神社で手を合わせるときに耳を澄ませることがあります。

 神の声が聞こえたのか?

 いいえ。ぼくにはなーんも聞こえません。もし聞こえたとしたら、そんな気がするということだろうと思います。それは自分の心の声に過ぎません。

 結局のところ、自他ともにみつめることが必要なんだろうと思います。

 その感覚が開いていれば、自分の心の声も、他の声も聞こえるのかな。そのうち神の声も聞こえるのかな。

 修行や鍛錬、技術の積み重ねは、自他を見つめることで初めて意味を持つものだろうと思います。

 暑いけん、まぁ、ほどほどに(心の声)。

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ただそのままを活かして、生きること

 人間って、日常、なんでもかんでも、良いか悪いかで多くのものごとを判断している。そうするもんだって思ってる。ぼくもそうだった。

 そもそも良いか悪いかっていう、この「善悪」ってなんだろう。

 小さな子どもの頃から、叱られたり、諭されたりしてきた。たまにほめられたりもして。そうやって叩き込まれてきた精神論だったりする。

 これって、時代の違いもあるだろうし、集団や地域、大まかなところは法律として国が作っているものなんだなって、薄々わかってきた。

 つまり社会や習慣が違うと、善悪も違ってくる。

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 ふと考えた。自然に善悪はあるのだろうかと。

 食べるために殺す。オス同士でケンカする。ただ生きるためであって、そこに善悪はない。

 人間の場合は、殺したらイケナイ。ケンカもダメよ〜。ダメダメ。肉や魚は食べるけどね。

 そこへ優劣なんかも加わって、出来のいい方がいい。一方で出来が悪いからダメとか。ラベルを貼って、結局社会が人を殺してる。

 もともと善悪って、社会の中でより多くの人を活かすための生きる智慧だったんだと思う。そして、社会の中でも殺し合いをしないため、生かし合うために宗教や思想が生まれたんだと思う。

 本当は殺そうが、ケンカしようが、行為そのものは、善でも悪でもない。

 それぞれが相手のことを尊重する目を持った、それぞれのセンスを活かして生きる。あとで、良かったな。悪かったなって思えばいい。最初にイイダワルイダって考えなくてもいいんじゃないの。

 そうだな。最初にイイダワルイダを決めちゃった方が、相手のことも自分のことも深く考えなくて済むんだな。

 「こうしなさい。」「ハイ!」

 お兄ちゃんなんだから。男だから。見た目が怖いから。こんなことをする人だから。そうやってキメツケル。

 人を見た目で判断してはイケマセンよ。(←これも常套句)

 ただそれぞれが、そのままで生きればいい。

 それでいいのだー。(←慣用句)

 写真は現在の鳥取砂丘、休憩舎付近。時折雨がぽつりぽつり。でも保育園らしい集団が歩いてどっか行ったよー。

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眼は愚痴ほどにモノを言う

 中学校に入学するまでは視力は良かった。遠くまでよく見えていたし、前もってこっそり「右、右、左、下」と暗記しなくても、視力表の下まで見えた。

 12歳のある日突然症状に気付いたのは、夜空の月を見たとき。

「ああ、なんだか、今日は月が二つあるなあ。こんな日もあるんだなあ。」

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 視力はまだ良かった。最初に乱視が始まった。もしかしたら、天体の奇跡かなんかのように、くっきり月が二重に見えたのだった。

 星は、というと、みんな二つずつだ。急に2倍に増えた。なかなかお得である。

 その後、順調に視力も低下していった。学校の視力検査で「要眼鏡」と書かれた。ゲームがない時代。たぶんプラモデルに化けていたはずのお金がセルロイドのメガネに化けた。

 上の方が黒で、下が透明という、セルロイドのインテリメガネだった。昭和47年(1972年)当時は、あまり種類を選べなかったと思う。

 メガネを付けた最初のうちは、世界が歪んで見えて、頭がぐらんぐらんしていたが、視力を取り戻した嬉しさは何ものにも代えがたい。見えることがシアワセってこのことだわーっと誰にも共感されない一人だけの喜びに浸っていた。

 このメガネを高校1年くらいまで付けていたと思う。文化祭でギターを弾いていた写真のぼくがそのメガネだったから、確かだ。今では化石のようなチューリップハットを被っているその写真は永遠にお蔵入りだ。

 その後数年で、フレームが全部真っ黒のメガネ、銀色の薄いフレームのメガネ、ラピードという、少し色のついたメガネと記憶にあるだけでも、3つくらい替えているから、どんどん視力は落ちていたんだろう。

 高校を卒業してから数年はハードコンタクトレンズとメガネを併用した。昭和59年(1984年)にバイクに乗り始めると、意外とゴーグルやヘルメットの中で風が起こるのに恐れをなして、メガネ生活に戻ってしまった。

 その時期をはっきりとは覚えていないので、完全にメガネに戻ったのを仮に1987年だとすると30年が経過したことになる。

 今は、バリバリの三重奏だ。乱視、近視、老眼。ずらして見たり、パソコン専用のメガネがあったり、本を読むときはメガネを外して、10センチくらいの距離で読む。世の中に新聞の活字より小さい文字があることが非常事態である。最近、困っているのが、五線紙が読めないのだ。いや、困っていないふりはできる。楽譜を覚えればいい。それでだいたい乗り切ってきた。あとは神田川。いや、燗だ。違う、勘だ。返還が出てこなかった。

 町を歩いていても、すれ違う人の顔が実は見えない。凝視して、目を細めれば見える。でもそんなことをしたら、一発で不審者になる。

 メガネを外して夜景を見ると、この上なく、美しい。あらゆる光がにじんで見える。

 とりあえず、眼をいたわりましょうと言いながら、夜中にパソコンに向かって文章を書いている。

 とりあえず2、ここまで書いて、寝る。

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スアライのススメ

 洗濯物は、洗剤で“洗濯機様”が洗いますし、油ものの食器類は、食器用洗剤を使います。シャンプーで頭を洗い、手や足や、あっちやこっちや石鹸で洗います。

 まあ、こうしてみると、日常いろいろと洗剤を使う機会がたくさんあります。

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 ここは、漁場、港のある村です。20年かもうちょっと前だと思いますが、下水が整備されていなかった頃は、当然そうなりますが、だいたいいつも川が泡立っていました。当時「カワシリ」って呼んでいましたが、港を少し外れた川が海に流れる一番「シリ」のところは、だいたい臭かったですね。今はアニメfree!が人気で、この田後に、よく若い人も訪れて来てくれますが、だいたい今景色のいい、行きそうなところは臭かった。今はもちろん、キレイですし、臭くないです。ご安心ください。

 生活排水ばかりじゃなくて、魚を扱いますから、どうしてもその後始末したものも多少は川に流れるわけです。地元の人はよくわかっているから、コンポストもあるし、ゴミは捨てないんだけど、カワシリには、どうしてもそういう淀みが生まれていたわけです。

 当時からの習慣として、だいたい「素洗い」で済ませられるものはそうします。つまり、洗剤を使わない。

 お茶や水を飲むコップ、カップ。ビールを飲むグラス。油を使っていない食器類は水で洗う。スポンジや食器洗い用のレーヨン素材の布とかは使います。

 水を張った食器だらいにどぼんと漬けておいて、スポンジでシャカシャカ、レーヨンでキュッキュッ、キレイな水でざっとすすいで、ふせておいて、タオルかなんかで拭いてオワリ。

 日常、意外と食器用洗剤は使わない。油ものとそれ以外のものは一緒にしないし、だいたい、飲みもの系は使ったら、すぐ洗います。

 テーブルを拭く布巾なんかもだいたい素洗いですね。仕上げ拭きの乾いたキレイな布巾を別に用意しているので、テーブル拭きの布巾は拭いては水で洗い、水で洗っては拭き、・・・って、なんか当然の当たり前のコンコンチキのことを書いているような気分なんですけど、本当のところはどうなんだろう。

 スアライ、してますか。

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猿の神社

 布勢運動公園、ええと、コカ・コーラウエストスポーツパーク? ここの駐車場にクルマを停めて、散歩しました。 

 Googleマップのナビにウォーキングで、「布勢 古墳」と入れて検索して、その名も「布勢古墳」というのを近くに見つけ、15分程度の距離でしたので、そこまで歩きました。少し高台になった住宅街の中、丘の上でした。

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 古墳のある広場の隅の方に「日吉神社こっち」みたいな看板が出ていたので、「この近くに神社があるんだな。」と、やっぱり興味をそそられます。古墳から竹やぶの中を降りていくと、ほぼ同じ敷地内、同じ丘の湖山側が古墳で、反対側が神社みたいな感じでした。「ひえじんじゃ」と読むそうです。ここは、「布勢の山王さん」と昔から親しまれている神社だそうです。

 神社なのに、狛犬らしきものは見当たりません。その代わり、猿の像がいっぱあります。子どもの守り神、安産、忌避けなどのご利益があるそうだ。しっかりお賽銭を投げ入れて、手を合わせました。

手を洗うところにも、お猿さん
本殿の左には子どもを抱えた猿が
本殿の右には、金の弊を担いだ猿が
古墳なのか、ただの丘なのかは素人目には区別がつかない。おそらく内部に石室があるのだろうし、上空から見ればもう少し古墳とわかる形をしているのだろう。

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こうげの賀茂神社

 数日前に、郡家(こうげ)の白兎神社のことを書いたところだったが、その翌日も郡家で仕事があった。その折に、白兎神社の近くにある賀茂神社に行ってみた。白兎神社ともゆかりのある神社らしかった。

 国道29号線から八頭町中央公民館の看板を入ると、道路をまたぐ大きな鳥居がある。参道はここが始まりではなく、国道をはさんで反対側の白兎神社の近くに参道の入口はあったようだ。

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 公民館の駐車場の脇を通り、民家の間の細い路地を抜けていくと、蓮池があり、その先の一段高くなった森の中に神社があった。

郡家の賀茂神社、本殿の入口。国道沿いの賑やかさがウソのような鎮守の森といった佇まいだ。意外と民家は近い。

 ここまで度々神社仏閣のことを書くと、神社仏閣巡りが趣味のように思われるかもしれない。もちろん、嫌いではない。ただ、何となくここ最近は「縁」を感じている。それほど詳しくはないし、極めようとか、全部の神社仏閣を訪れようとか、そういうことは考えていない。

 こうした身近な神社を訪れて、感じることは、クルマで一気に100キロ、200キロ移動する現代よりも、かつての時代の方が、スケール感が大きいと感じることだ。現代のように曖昧な情報を大量に垂れ流すのではなく、伝聞や憶測によらず、確実な情報を鋭いアンテナでつかみ取っていたのだなと思う。人間は昨日食べたものすら覚えていない。それはどの時代でも同じであり、何を重要と考えるかで記憶の確かさが変わると思う。いかに神を重んじ、大切なものだけをしっかりと捉えていたか、なのだと思う。

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