カテゴリー
essay music

加藤省吾氏没後20年展

仕事の待ち合わせの時間まで、1時間ちょっと時間があったので、久しぶりに鳥取市の「わらべ館」に行ってきました。

「みかんの花咲く丘」などの作詞で知られている加藤省吾氏の没後20年展が開催されていると、オカリーナ教室の生徒さんから先日聞いたばかりだったので、たまたまわらべ館の近くにいたこともあって、行くことができました。

その日は、土曜日の昼過ぎですし、いつもの様子を思い出し、人が多いんだろうなと想像して行ったのですが、予想に反して、まったく人影がありません。

受付には透明なシートがセットされていました。その隙間越しのやりとりです。コンビニでもどこでもそうですが、すっかりこれが日常の光景になりました。

この日は、「WeLove鳥取キャンペーンPart 2」だとかで、半額の250円で入れました。ラッキー!今月いっぱい(6月30日まで)は、鳥取県民であれば、入館料が半額、おもちゃづくり体験一部のキットが割引になるそうです。

加藤省吾さんは、講演でも鳥取市に訪れているようです。

「みかんの花咲く丘」を歌われた川田正子さんとのツーショット写真も展示されていました。幸せそうな表情でしたね。

この曲の思い出

ぼくの中には、桜が咲き、次に梨が咲き、そして、蛍のたよりを聞く頃に、みかんの花が咲くというイメージがあって、6月ころになると、この曲を思い出します。

いちばんの思い出は、岡山県の長島愛生園の中央にある丘の上から見たみかん畑に白い花が咲いていたのが印象的でした。それもちょうど今頃だったと思います。

鳥取県出身で、幼少の頃から長島で暮らしていたKさんを訪問して、庭で育てていたゴーヤで奥様がチャンプルーをごちそうしてくれました。本棚に徳永進先生の本がずらっと並んでいました。

その後案内された集会室に、岩手県出身で、鳥取市在住の田中かおるさんの童画が中央に飾られていたのが印象的でした。

ここでは、病気で手首から先を失った方とも知り合いになり、握手をさせていただきましたが、温かい手のぬくもりとサングラス越しの眼差しに感動した記憶があります。

時間が同じように進まない世界があることを、ここで知ったように思います。

丘の上

中央にある丘には、納骨堂があります。公園のような見晴らしのいい場所ですが、骨壷はコップのような大きさでした。ふだんは納骨堂は野外のアーチの外からでしか見えないそうで、案内してくれた自治会長さんから、その話を聞いたあと、アーチの外で「故郷」「みかんの花咲く丘」をオカリーナで吹きました。

カテゴリー
essay

日本美術の巨匠たち展

今日は午後から時間が空いていたので、ひとりでクルマを走らせて島根県立美術館へ行ってきました。

入口を入るとまず、検温を受けました。額に向けて測るピストルみたいなやつです。

次に名前と連絡先をカードに記入するカウンターに案内されました。万が一のときに連絡をするようにということです。

さらに、人数制限のため、入場整理券は別のカウンターで受け取って、やっといつもの受付カウンターで入場券を買い、特別展の入口では、お客様がご自身で半券を切り離してくださいという、念の入れよう。

久しぶり、初めまして

会場内は、「超」有名な作品ばかりなので、ほとんどの作品が、過去の美術展で見たか、本で見たのか、どこかで見た記憶がある作品でした。なんだか、長い間会っていなかった友人たちに会うような感じがして心が浮き立ってくる。

もちろん、中には初めて見る作品もあります。あまりにさまざまな作品が並んでいるので、カタログを見ているような錯覚を覚える瞬間もありましたが、ここで見るのは、全部本物です。どの作品にも、目を奪われます。

立派な襖絵や、屏風絵を見ると、どこにどんなふうに飾られていたのだろうと想像してしまいます。

あっという間に1時間経っていました。心や意識の中に、何かしら吸収したんじゃないかと思います。

出入口も一部は閉められていますし、パンフレット類は一切置いてませんでした。売店のほうは、いつもどおりでした。

カテゴリー
essay music オカリーナ

tuitou

度々ニュースで有名人の自死が取り上げられます。ただただ、いたましく思う。心よりご冥福をお祈りします。

その背景となったいきさつについては、今回は、SNSでの誹謗中傷があったと聞いています。

一般の方の自死は、ニュースでは取り上げられません。めちゃめちゃ多いらしいです。

個人情報ということもあるし、有名人ではないので、目につきにくいということもあります。

音楽のちからを殊更に強調はしたくはありませんが、音楽を通して、何かしらできないのかなとは、思っています。

ネットでの音楽コラボとか、内輪でのバトンメッセージみたいなのは、ぼくは苦手です。それは、控えめにお断りしています。

音楽は、やはり直接伝わる場面で、これからも大切にしていきたい。もし、誰かが命を終わらせようと思った時に、心がしずまる音楽を思い出してもらえたらと願わずにはいられない。

本当に、本当に。自分で命を断ってしまうのは、そばにいる人のことも含めて、悲しすぎる。

カテゴリー
essay

時間がない、足りないって思いすぎてた。

ぼくは、焦っていたし、急いでいたと思う。「寝る間も惜しんで・・・。」「お金があれば・・・。」時間もお金も節約すれば、余裕ができると思い込んでいた。

きっと、傍から見れば、決してそうは見えなかったんだろうと思う。自由で、気ままで、余裕も能力もあるように見えたのかもしれない。

誰でも知っているし、感じていることだけど、夢中になって何かやっているとアッという間に時間が過ぎていく。

そして、心をしずめようと決めれば、数秒、いや、一瞬でおだやかになれる。もちろん、それもこれまでのぼくにとっては、なかなかなこと、だったけれど。

当たり前のことに、今、気がついた。

心が静かで、平穏でいられるかどうかは、時間やお金の問題ではなかった。時間やお金は要素のひとつでしかない。

なぜ、そう思うようになったか

今、乗っているクルマが電気で走るクルマで、一定速度で走るスイッチみたいなのがついていて、たとえば、50キロ制限の道路を走るのに、55キロってセットしちゃうと、ずっと55キロの速度で走れちゃう。

もちろん、前の車がノロノロだったり、後続のクルマが急いでそうで、めっちゃ接近してたりしたら、設定は変える。譲れるときは譲るし。合流や車線変更で、もたもたしてるとやばいなって感じたら、アクセルを踏むこともあるし。

それまでが、すぐ追い越したりして、けっこうブイブイ走ってたほうだから、今は結構エコだし、クルマをゆっくり走らせるのが案外楽しい。

そうやって運転しているうちに、時間って、なんだろう、心のゆとりってなんだろうって考えた。

これまで30分で行けるところに40分かかったって、気持ちに余裕があるほうが、ゆとりを感じた。理屈ではわかっていたし、そうだと思っていたのに、体験していなかったから、わかっているようで、わかっていなかった。

不思議なものだ。心にゆとりがあればいい。ただそれだけだ。

カテゴリー
essay music オカリーナ

久々に白兎です

新型コロナ対策で丸々2ヶ月休んだ教室が、順次再開です。今日も、鳥取市末恒地区公民館でのオカリーナ教室が再開でした。

写真の風景は、曇っていますが、海はサーファーもお手上げな、ベタ凪です。このあと、ザーッと雨が降りました。

上記はお昼にご飯を食べる前に書いた文章です。アプリが保存してくれていました!午前中は、オカリーナのレッスンと、クラリネットのレッスンでした。

午後からの再開したオカリーナ教室。今、鳥取県東部は田植えの時期で、ご自宅やご実家、親戚が農家という方がお休みで、それ以外の皆さんが参加してくれました。

前回は春の曲に取りかかったところで、お休みになったので、夏をイメージした曲をやりました。

午後は、その後2つのオカリーナ教室でした。

明日も、一日、教室があります。楽しみます。たくさんの笑顔に会えるのが、支えになります。ありがたいですね。

カテゴリー
essay

窓を開ければ

今、乗っているクルマ、セレナe-powerの初期タイプ。もうすぐ丸2年ですけど、よく走ります。

あまりスピードを出さないようにして、かつ急激に加速しない、減速しない。速度を固定するスイッチを効果的に使うということをやってたら、満タンの度に残りの走行可能距離がどんどん伸びてきました。

今回満タンにすると、1,329キロという表示が出ました。計算すると、リッター約24キロですから、7人乗りのワゴンということを考えると、とてもいいです。

ところで、今日は暑かったんですね。30度を超えました。窓を開けて走っていたので、この燃費なんでしょうね。エアコンをつけたら、どれくらいかなぁ。予想では、15キロくらいかなぁ、と思います。

今日のタイトルは、別に淡谷のり子さんの歌を連想して歌った訳ではありません。

カテゴリー
essay

マスクが手に入った

今日は、30度を超える暑さになりました。

湯梨浜町に仕事で行った折に、飲み物を買うためにローソンポプラに寄りました。久しぶりに、コンビニの棚にマスクがあったので思わず買ってしまいました。

使い捨てタイプ、ロハスウルスマスク。5枚入り450円メイドインチャイナと書いてあります。

安くは無いんだろうけど、1枚が95円、約100円ですから、高いとも思わなかった。そのうちどこでも手に入るようになるでしょうか。

その後、話を聞いてみると、1枚100円は高いかも、ということでした。5枚入りならまあそれくらいかなってことらしい。この情報が得られただけでもオトクでした。

カテゴリー
リンク

いつも誰でも唯一の存在

時間がないので、あれがないので、こうしたので、こう思っていたのでなどとポンポン言い訳が出てきます。

誰かの批判ではなくて、自分のことです。以前は、言い訳をしている自覚はなかったんですね。単なる事実だと思っていますから。

最近は、あとで気がつくようになりました。あとで、ですから状況はあまり変わってはいないんですが、自分を認められるということで見える世界は変わってきたように思います。

たとえば、すぐにダメだとか、あせったりとか、感情に結びついて流されるようなところはおおいにありました。

今は、ひとつひとつが体験なんだなと思っています。男に生まれなければ男の体験はできません。59年生きなければ、59歳の体験ができません。

死ぬまでが体験だとしたら、いい悪いとかではなく、唯一無二の存在として、唯一無二の世界をすべて味わうだけです。

カテゴリー
essay

タブレットから記事をアップしてみます

WordPressアプリを久しぶりにタブレットに入れて、フリック入力で記事が入力できるか、実験をしてみます。これが可能なら、いつでもどこでもホームページに記事が書けます。

ちゃんと写真もアップできて、更新できました。

同じアプリで、新しいiPhoneSEで編集してみます。これでできれば、パソコンは要らなくなりますね。

結果は良好です。このアプリ、数年前に使ったときは、保存がうまくいかないなど、まったく使いものにならなかった記憶があります。WordPressそのものの編集機能が安定してきたこともあるのでしょう。これからは、パソコンに頼らずブログを書くことができそうです。

カテゴリー
essay

コンタクトレンズ

ある時期、よく目にゴミが入るのか、髪の毛なのか、わかりませんが、しょっちゅう目から火が出るような痛みに悩まされていた時期がありました。

最近は調子いいようです。

ただ、夜コンタクトレンズを外そうとするときは、いつも苦労します。

片目ずつ、指先で強く目尻を引っ張るようにして、ばしっ!とまばたきをすると、調子いいときは、1回でぽろっと、レンズが目からはずれて落ちるんですが、ここんとこ、決まって、はずれない。

どうしても、はずれないよっていうときは、鏡を見ながら、専用の吸盤の先にコンタクトレンズをぴとっと貼り付けて、引っ張って取り出します。

上の写真でメガネの下にあるツートンの棒のようなものが、専用の吸盤です。「SPスポイト」という名前らしいです。

そうなんです。「スポイト」になっていて、ぎゅっとつまむと吸盤の先から空気が出て、つまんだ指をゆるめると、吸盤の吸着力が増して、レンズに張り付くという仕組みです。

感覚としては、鏡を見ながら目の中にその棒の先っぽをまっすぐに突き刺す感じです。個人差はあるかもしれませんが、意外とすんなりと、すっと取れます。

ここ数日でおもしろいのは、はずれなくて、いよいよあきらめてスポイトを取り出したら、ぽろって取れるというのが続いています。吸盤、スポイトを準備をするんだけど、結局使わずじまい。

そういうことって、ありますね。

どうしてもできない、なんでだろうと、繰り返していたのが、ある時、すっと出来てしまう。不思議ですね。